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日常はワンダーランド 番外編 ベルリンその2

日常はワンダーランド 番外編 ベルリンその2

2016年04月15日(金)
日常はワンダーランド 番外編 ベルリンその2
出張から一昨日帰りました。
週末にお届けできず、すみませんでした。
今回の出張で最も感じたことをお伝えします。
 
最も感じたこと
やはりドイツでは言語がとても重要だということです。
些細な例をあげます。
空港で迎えに来てくれた友人は「フライトはどうだった?」
と聞きました。
 
私はほぼ同じ時間にコペンハーゲンから、
ベルリン行きのフライトが二便あったので、間違えて違うフライトのゲートに並んでいました。
あれ、自分の名前が呼び出されてる!
と空港内アナウンスを聞いて、走って走って走って、
私の姿を見たゲートの人が「あ、来た!」と言って、ギリギリ間に合ったので、その話をしました。
 
「もう少しでフライトを買い直さなければならなかったよ」と。
 
「どんな旅だった?」
「フライトはどうだった?」
そう聞かれたとき、他にもいろいろな答えが可能です。
 
コペンハーゲンでの乗り換えなので、デンマークの人たちの話をしてもいいし、
その空港でほかと変わったところがあればその話をしてもいいです。
 
飛行機から見える景色の話をしてもいいですし、
隣に座った人がこういう仕事で面白かった、でもなんでもいいです。
 
でも、何かを言葉にして、聞いてくれた人に手渡していることを実感しました。
 
あるいは、「11時間半だから長かったけれど、映画を3本見て、
寝たらついたよ。それより、こういうことがあったとメールにあったけれど、大丈夫だった?」
と相手の近況を訪ねてもいいです。
 
なにを答えてもいいわけで、それが自分がどんな人かという
印象になって、相手に伝わっていきます。
 
体験したことを言葉にする。
言葉でやり取りしている。今回の滞在は全てドイツ語だったのですが、
人と話すたびにそう実感しました。
 
 
もう一つ、よくある例をあげます
ドイツのお宅に行くと、ひとしきりの上記のような挨拶
「インタビューはどうだった?」「仕事はどうだった?」とかのやりとりのあと、
大抵はこのような質問を受けます。
 
「何か飲む?何がいい?コーヒー、紅茶、何がいい?」
 
飲み物を提供されます。
この質問は18歳で留学したとき、もう27年前になりますが
「う」と詰まった質問でした。
 
なぜ詰まったのかというと、
相手がなにを飲むのか、全く情報がなく、私がなにを飲みたいのか、
はっきり決まっていることが求められていることに、詰まってしまったのです。
 
コーヒーでも、紅茶でも、水でも、なんでも飲む私としては、
どちらかというと、相手に手間を取らせると悪いので、
同じものを飲めばそれでいいと感じていたのです。
 
でも自分がそっちのほうを大事にしているから言葉に詰まっているとは、
なかなか自覚できず、知人宅にお招きいただくたびに、「う」でした。
友人ならば、性格をお互い知っているので、わかってくれるのですが、
知り合いや先生のお宅ですと、やはり「う」でした。
 
でもドイツの人にとっては、質問したのに、
「う」というやりとりはおかしい感じがするのだと思います。
「コーヒーをお願いします」というようなはっきりとした答えを求められます。
 
ドイツの人たちはかなりはっきり答えます。
自分は午後3時以降は、眠れなくなるから、コーヒーではないもののほうがいい。
数年前まではコーヒーを飲んだけれど、今はハーブティーしか飲まない、など、
いろいろ言う人が結構います。
自分についてはっきりと知っていることが必要になります。
 
大袈裟ですが、そのことにカルチャーショックを覚えたのです。
 
もぞもぞ話したり、沈黙したり、不明瞭なことを口にするのでなく、
はっきり答えていく上に成り立っている文化。
お宅を訪ねるたびに、それを実感するのでした。
 
自分の中で、自分がどういう人間か、ある程度はっきりさせて、
それを言葉にしてやり取りする。
そういう文化なのだということに「う」と詰まっていたのですが、
「ああ、自分は何が飲みたいか、よりも、
相手と同じものを飲みたいから言葉に詰まっていたんだ」と自覚して、
それを説明できるようになったのは、何年も何年も後のことです。
そんな話を今回は、飲み物を聞かれたときに話しました。

殺し合わないために話し合う
シュタイナーはある講演集で
「私たちは殺し合わないために、話し合う」ということを述べています。
なかなか実感しづらいかもしれませんが、非常に重要なことだと思います。
というのも、他者と自分というのは、欲求も性格も願いも違うからです。

たとえばまだ話すことのできない1歳2歳の子供たちが、
自分の要求を伝えられないとき、ストレスがあるとき、
保育園などでは、子供が子供をぶったり、噛んだり、もします。

言葉によるやり取りをベースとした文化では、
なんでも言葉にできるという奢りもまた生まれやすいですし、
すぐに言葉にできない人は何も考えていないとか、馬鹿だと誤解されやすいのも事実です。
 
けれども、そこから学ぶことがあるのもたしかです。

個性とは
「なにか飲む?コーヒー?紅茶?」
というシンプルな質問ですが、毎回聞かれる質問です。
今、自分がどんな状況か。なにを求めているのか。
いろいろなことを常に明確にし、相手に言葉にして伝える。
 
日本のように、言葉にならないものもベースにした文化でも、
ドイツのように、言葉をベースにした文化でも、
なかなか難しいのが、下記のようなことだと思います。
 
自分を明確にし、それを言葉にできるところまで説明する。
言葉にできない部分があることも見つめ、それはできないままにする。

このようなことを繰り返すことで
本当の個性派生まれていくものなのだろう。
そう思ったベルリン滞在でした。

人間関係を考える
「殺し合わないために、人は話し合う」
言葉によって人とやり取りする。
 
少し話が外れますが、今、これをお読みの方の中に、
それが可能でない人間関係をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。
そんなときには少し距離をお持ちになることも可能性に入れてみてください。
 
なぜなら話し合えないということは、大きな危機だからです。
 



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